料理人の目・手・技

「分とく山」総料理長の野﨑洋光さんに、『仕掛人・藤枝梅安』の江戸後期の食文化と「料理の目・手・技」を教えていただこう。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

「分とく山」総料理長の野﨑洋光さんに、『仕掛人・藤枝梅安』の江戸後期の食文化と「料理の目・手・技」を教えていただこう。

分とく山 野﨑洋光。料理の目・手・技

江戸後期のいわゆる「梅安の時代」、彼の暮らす品川台町は一膳飯屋や煮売り屋など、いろいろな食べ物屋ができ始めたころ。自炊をしない独り者でも、食にそう不自由することはなかったようだ。
ましてや梅安は家に煮炊きをしてくれるお手伝いがいたし、自分でも包丁を握る。しかも裏稼業で大金を稼いでいたから、その気になれば高級料亭に上がることもできる。豊かな食文化を存分に楽しんだことだろう。
とはいえ「当時はまだ家庭で手の込んだ料理は作らなかったはず」と野﨑さんは言う。理由は「調理器具がなかった」から。

「おかずはだいたい煮売り屋から買います。振り売りといって、魚や野菜、豆などを煮たものを天秤(てんびん)に担いで、家のすぐ前まで売りに来る。それがやがて酒も飲める店を構える『煮売り酒屋』に発展するわけです。それに江戸の町って、独り者が多かったから、梅安のように男も料理をしたと思います。だから余計に、家で作るのは手間がかからず、ささっと簡単に手早くできるものが中心ですよね。
映画の中でも愛之助さんが、削りたての鰹節(かつおぶし)とネギだけをのせた飯をかきこんで『これはうめえや』ってやってたでしょ。粗食のようだけど、本当はそういうのが一番おいしい。あの場面で梅安は鰹節を小刀で削ってますが、あれは江戸のリアリティー。一般家庭に削り器はありません。
ついでに言うと、ゆずを練り込んだ蕎麦(そば)を切る場面では、太くて不ぞろいでいいからと、素人らしく菜切り包丁でやってもらいました」
野﨑さんはまた、梅安が「江戸の豊かさの証明」とも言える食を大いに楽しんでいたと強調する。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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