金沢・主計町、万古の灯

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

金沢、主計町茶屋街
主計町茶屋街は、3連続アーチが特徴の浅野川大橋から中の橋までの地域。細い路地に茶屋建築が密集して建てられ、町全体が小さくまとまっている。

主計町 今昔物語

主計町の名は、この地に上屋敷を設けた富田主計重家にちなむ。重家は、大坂冬の陣・夏の陣で功を立てた加賀藩士である。ただし富田家は、その後当地を離れている。

1811(文化8)年に編纂された『金沢町名帳』によると、当時の主計町は家数42軒、古着・古道具を売る店や、苧綛織(からむしかせおり)という織物の店、宿屋、医者、そば屋などがあったという。町が発展したきっかけは、1869(明治2)年に遊郭が認められたこと。最盛期の昭和初期には、茶屋60軒、芸妓100人以上を擁していた、とも伝えられている。

しかし戦後、法改正などにより、郭に象徴される歓楽的な要素が廃され、東郭と西郭は茶屋・料亭に転じ、主計町は衰退。1970(昭和45)年には、尾張町2丁目に吸収されて、町名が消失してしまう。町民にとって、これほど寂しいことはない。心のよりどころを失ったも同然だ。

主計町の名が復活したのは、約30年もの時を経た1999(平成11)年。その3年前に「旧町名復活委員会」が結成され、何度も協議を繰り返した末に実現した。町名を消失した町が多数ある中、主計町は全国で初めての快挙を成し遂げたことになる。こうして主計町茶屋街は、町民はもとより行政や旦那衆に支えられて、かつての隆盛を取り戻していったのである。

今昔の講釈はこのくらいにして、芸妓文化漂う町中へ歩を進めよう。

  • 金沢、かつては検番だった建物。現在はお茶屋の建物を業態変更する際の窓口たる事務所になっている
    かつては検番だった建物。現在はお茶屋の建物を業態変更する際の窓口たる事務所になっている。
  • 金沢、主計町茶屋街
    主計町茶屋街は日が暮れるにつれて、“夜の化粧”が施され、上品な色気をまとう。
  • 金沢、昔のお茶屋を改装した居酒屋
    空海は昔のお茶屋を改装した居酒屋。酒の肴(さかな)が豊富。治部煮に代表される郷土料理も味わえる。
  • 金沢、日本料理店・いち凛(りん)の建物は、元はアメリカ人版画家クリフトン・カーフ氏の晩年の住まいだった
    日本料理店・いち凛(りん)の建物は、元はアメリカ人版画家クリフトン・カーフ氏の晩年の住まいだった。
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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
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その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
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