金沢・主計町、万古の灯

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

大人の社交場として200年来栄えてきた金沢・茶屋街。“令和の旦那衆”が夜ごと繰り出し、芸妓たちの歌舞に酔う。今宵は、浅野川左岸沿いの「主計町茶屋街」へ。花街の風情漂う小路や坂道をぶらり文学散歩する、その先で、仲乃家の女将と芸妓たちが迎えてくれる。

金沢、ひがし茶屋街と主計町茶屋街を結ぶ浅野川大橋
ひがし茶屋街と主計町茶屋街を結ぶ浅野川大橋は、1594年に前田利家が北国街道に架けたのが始まり。現在の橋は1922年に架けられたものだ。川面に映る3連続アーチの意匠が美しい。

加賀百万石前田家12代のお殿様は考えた。城下に点在する茶屋をまとめて、街づくりをしようと。さすが財力のほとんどを文化政策に注いだ前田の家系、花街に目を向けるとは、粋な計らいである。

もっとも加賀藩は、1583年に前田利家が入城して以来、身分の別なく「謡」を奨励し、「空から謡が降ってくる町」と称されたところ。芸事に向ける視線は熱く、それが茶屋と芸妓の文化の醸成につながったのは自然な流れだろう。

ともあれ金沢に現在の茶屋街につながる花街が誕生したのは、1820(文政3)年のこと。藩公認の下、浅野川の東と犀川の西に郭と茶屋を集めるという、新たな町割りが成された。つまり浅野川の東に東郭(ひがし茶屋街)、犀川の西に西郭(にし茶屋街)が形成された。

その後、風紀の乱れから一度、公認が廃止されたものの、1867(慶応3)年に復活。明治に入ると、浅野川沿い、ひがし茶屋街の対岸に主計町茶屋街が設けられた。以来、金沢の茶屋街は三つ巴で発展してきたのである。

今回訪ねた主計町茶屋街は、浅野川大橋から中の橋までの間に、えんや、まゆ月、一葉、仲乃家の4軒の茶屋が集う。

金沢、川沿いに並ぶ茶屋建築
川沿いに並ぶ茶屋建築の中には、3階部分が増築され、部屋の中から浅野川の流れを眺められるように工夫しているところも多い。
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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

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