神鬼、炎焔 – 刃には刃を

福岡県太宰府市の宝満宮竃門神社は『鬼滅の刃』発祥の地とも聖地とも目され、多くの“鬼滅ファン”で賑わっている。いざ太宰府へ。鬼殺隊を気取って、「鬼狩りの旅」に出かけるとしよう。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

福岡県太宰府市の宝満宮竃門神社は『鬼滅の刃』発祥の地とも聖地とも目され、多くの“鬼滅ファン”で賑わっている。いざ太宰府へ。鬼殺隊を気取って、「鬼狩りの旅」に出かけるとしよう。

宝満山麓の竈門神社下宮
宝満山麓の竈門神社下宮。ここから山を登り、上宮の社殿を参拝する人も多い。かつて山伏の修行の中心だった中宮は明治以後廃絶。礎石にありし日の面影を残すのみである。

その名も「竃門」

まず向かったのは、宝満宮竃門(ほうまんぐうかまど)神社。主人公 竃門炭治郎(かまど たんじろう)の姓と同じ名を持つことから、ネット上で「もしかして作品のルーツ?」と話題になり、1年ほど前から参拝客が急増しているという。
私たちが訪れた日も、平日にもかかわらず、駐車場は満車。人気のほどがうかがわれた。

イメージがダブるのは、名前だけではない。例えば「鬼狩り」というモチーフがそう。
そもそも宝満山で神祭が行われた始まりは、今から1300年以上も昔、天智天皇の御代に遡(さかのぼ)る。

九州一円を統治する大宰府政庁が現在の都府楼跡の地に遷(うつ)された時、鬼門に当たる宝満山に鎮護のための神が祀(まつ)られたのだ。「鬼門」とは陰陽道で鬼が出入りするとされるところ。竃門神社はつまり、「鬼門封じ」の役割を担っていたわけだ。

竃門神社(縁結び・方除け・厄除けの神様)
竃門神社は古来、縁結び・方除け・厄除けの神様。葉が色づく秋をはじめ、境内の四季を映す自然が美しく、参拝者の心も澄み通るよう。

また宝満山は古来、修験道で知られる「信仰の山」である。
山中にはかつて山伏たちが住んでいた坊や、修行をした窟(いわや)などの跡が遺(のこ)る。今もここで修行する山伏たちがいて、彼らがなんと、炭治郎の羽織と同じ市松模様の装束を着ているとか。

どうだろう、作者の吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)氏が福岡出身らしいことに加えて、これだけの共通点がそろうと、竈門神社には「鬼滅の聖地」を名乗る資格があるような気もするのだが……。

真相はともあれ、ここを聖地と信じて盛り上がるファンたちは思い思いに、『鬼滅』の登場人物のイラストを絵馬に描き、コロナのような、今の世に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するある種の鬼が退治されることを祈願する。

竃門神社、絵馬掛所。『鬼滅』のキャラクターを描いた絵馬が鈴なり
絵馬掛所には、『鬼滅』のキャラクターを描いた絵馬が鈴なり。お札お守り授与所では、ファンたちがカラーペンで一心不乱にイラストに取り組む姿が散見される。魂をこめて祈念!
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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
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真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
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