食のハレとケ

食語の心 第140回 柏井 壽

食語の心 第140回 柏井 壽

ハレのほうで言えば、割烹をはじめとする最近の日本料理だ。料理にとって器がだいじなのは言うまでもないが、ただただ豪華さや希少さを求めるものではない。仁清だの乾山だの魯山人だの、名が知れた作家の器を使ったとて、料理と合わなければなんの意味もない。

食材もおなじで、最上級の牛肉にキャビアだの生ウニだのをトッピングしたとて、屋上屋を架す愚は料理の品格を落としてしまう。装飾過多も最近の傾向だ。季節感を表すのはいいが、料理を覆いつくすほどの飾りは要らない。

春の桜、秋の紅葉など、料理以上に目立ってしまっては本末転倒である。いかにしてさりげなく季節を表現するか。こういうところに料理人の真価が発揮される。総じて短い修業経験で独立して店を開いた料理人は、派手な趣向に頼りがちだ。

器もしかりで、ある程度の経験を重ねないと器の真の価値を見抜き、料理とのバランスを見きわめることなどできない。器も食材もブランドばかりに頼っていては本当のハレにはならないのだが、それを絶賛する客が少なくないのだから困ったものだ。

プロのライターのみならず、インフルエンサーと呼ばれる人たちも、言葉を極めて絶賛するのが最近の習いだ。そんな人たちのSNSでの投稿などを見ていて驚くのは、日常の食生活との格差である。外食回数の多さが自慢なのだから、家で食べることは手抜きになっても仕方がないのだろう。

たまに高級食材を入手したときなどに家庭での食事風景を投稿されるのだが、外食時とのあまりの違いに愕然とする。景品でついてきたような器ならまだましなほうで、器に移すことすらせずパックトレーに刺し身を載せたままテーブルに置いて箸でつつく画像を平気で投稿するのだから、それが日常の姿なのだろう。

店では天城産のわさびがどうとか言いながら、家の食卓にはチューブ入りのわさびが散らばっている。これをしてハレとケとは言いづらい。日常をなおざりにしていたのでは店の評価などできようはずがない。ハレとケの使い分け以前の問題だ。

ブリアサヴァランの言葉「君が何を食べているか言ってごらん。君がどんな人間か言い当ててみせよう」は、日常を含めてのことなのである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2025年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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