酷暑の中だからこそ思うこと

時代を読む 第139回 原田武夫

時代を読む 第139回 原田武夫

自然と書いて「しぜん」と普通は読む。しかしあるときからこれを「じねん」と読む場合があることを知った。古神道の教えを集中的に学ぶことを許されるようになってからだ。

この関連でよく聞かれることがある。「なぜ古神道を学ぶことになったのですか?」

この問いに対する答えを述べる前に、まずはそもそも「古神道」とは何であるのかについて説明しなければならないだろう。「神道」というと普通、私たちは神社という祭祀のための施設があり、それを拠点として行われている信仰の体系だと考えている。そして「神道」の中心となっているのが現在、神社本庁である。そのことにも疑いを抱く方はほぼいないであろう。

しかしよくよく考えてみると「神道」にはそもそも経典がないのである。「言挙げしない」というのがその根幹にある神道は、結局のところその教義は真髄になればなるほど「口伝」によって伝えられているのである。となると、ある意味「形をもったもの」にその中心を求めるのはどうかということになってくるわけであって、究極において「神道」とは本物になると「口伝」で教え、教えられる、連綿と続く人々の連なりによって支えられている体系であるというのが本当のところなのではないかということになるのだ。

事実、我が国における「神道」は第2次世界大戦における敗戦直後、徹底した弾圧を進駐軍から受けた。米国の側からすれば自らに軍事力をもって歯向かうことになった原動力がその信仰の力にあったとするならば、その根絶に意を用いたことは想像に難くない。そうした中で現在の「神道」を巡る目に見える体系が創り上げられたわけであるが、したがってそれは米国勢から見て「許容される範囲」における在り方でしかないということにまずもって留意しておかなければならないのだ。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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