食文化と食文明

食語の心 第138回 柏井 壽

食語の心 第138回 柏井 壽

つまるところ、味覚というのは食べる側の嗜好(しこう)によるところが大きいので、科学的正解とは相容(あいい)れないものだということだ。

たとえば椀物(わんもの)の温度は何度がベストだという料理人がいても、それはあくまで主観によるもので、猫舌の客は異なる感想を持つはずだ。

当たり前のことだが、味覚というのはひとによって千差万別で、全員がまったくおなじ味覚だということなどあり得ない。したがって料理人はその最大公約数を狙うか、もしくは自分自身の味覚を信じるか、ふたつにひとつなのだ。

そしてその元となるのは、多くが積み重ねてきた経験、すなわち科学的知見である。

世に言う食通たちがこぞって求めるのは、こうした食の知識であり、それらは言わば食文明である。

どこそこ産が一番だとか、何センチの厚さがベストだとか、どんな調味料を使えばいいか、などそれらはすべて食文明がもたらした知識だが、それらの先入観は、本来無心であるべき、味覚を欺くこともあり得る。

科学によって解明される食文明とは別に、自然の摂理を素直に取り入れる食文化というものがある。

お造りに添えられる山葵(わさび)などがその典型で、先人が積み重ねてきた経験に基づく取り合わせ。寿司(すし)に生姜(しょうが)、鮪(まぐろ)や鴨(かも)に葱(ねぎ)、などもそうで、これらは知識ではなく、知恵なのである。

食文明は知識、食文化は知恵。この違いをぜひ覚えておいてほしい。

余計な知識を詰め込みすぎると、頭でっかちになり、味覚は鈍くなる。

いっぽうで、先人の知恵に素直に従うと味覚が鋭くなる。食文化に重きを置くべきゆえんである。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2025年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
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