食のマナーとルール

食語の心 第133回 柏井 壽

食語の心 第133回 柏井 壽

マナー講師が言うのだから間違いない。素直にそう信じ込むのは何もマナーに限ったことではない。食通と呼ばれる人が薦める店だから、きっとおいしいに違いない。そう信じ込んだ人たちによって、人気店にまつり上げられるのもおなじ。一年に何百軒を食べ歩いているというだけで、食通というお墨付きを与えるのも、考えてみればおかしな話なのだが、多くの人はこの数自慢の言を信じ込んでしまうのである。

いつも言っているが、数自慢というのは食以外ではあまり見かけない。一年に何冊本を読むと自慢する書評家もいなければ、生涯に何本舞台を見たと称する芸能評論家もいない。数を重ねたから的確な評論ができるものではない。至極真っ当な考えが浸透しているからだ。

他のジャンルに比すると、残念ながらグルメ界の底の浅さを感じざるを得ない。なぜそうなるかと言えば、これも何度も書いているが、トレンドという言葉に迎合し、食材や味、見た目ばかりをくどくどと語るからだろう。食通と呼ばれる人たちは、器遣いやしつらえに言及することがほとんどなく、あったとしても店側の受け売りにすぎず、その知見の浅さを露呈してしまっている。

マナーはさておき、日本料理には守るべきルールがある。箸遣い、器遣いをはじめ、盛り付けや食べ方にもルールがあり、あえて詳述は避けるが、近ごろしばしば見掛けるルール違反があり、その典型とも言えるのが、ご飯の位置や魚の向きなどが反対になっていることだ。

古くから日本では、食に限らず左上右下(さじょううげ)という決まりがある。席における上座下座、舞台の上手下手などと同じで、食事においても左が上位とされている。ゆえに最も尊ぶべき食材である飯は、左手になければならないのだ。しかるに素人のSNSのみならず、メディアにおいても、飯を右手に置く無様を見掛けるのは残念至極。おそらく日本で最も高名なグルメ評論家の投稿に、焼き魚の尾っぽを左に向けた写真が掲載されていた。

美食に真の教養が表れるには、まだまだ時間が掛かるのだろう。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2025年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
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