食のマナーとルール

食語の心 第133回 柏井 壽

食語の心 第133回 柏井 壽

食語の心 第133回 柏井 壽、食のマナーとルール

日本だけに限ったことではないが、食事の際に守るべきマナーというものがある。お国柄というか、それぞれ国によって異なるのは当然なので、日本のように和洋中さまざまな料理を食べる機会が多いと、それに合わせたマナーを身に付けなければならない。

日本に西洋料理が入ってきたときは、さぞや多くが戸惑い、和食との違いに驚いたことだろう。2本の箸だけを使うのではなく、ナイフやフォーク、スプーンを使い、それも肉と魚で使い分けるというのだから、手元に気を取られ過ぎて、落ち着いて食べることもできなかったに違いない。

異文化を取り入れる過程では、ときに滑稽とも思えるような珍現象が生まれる。その最たるものが、フォークの背にライスをのせるというスタイルだろう。今となっては笑い話だが、当時は真顔で皆がナイフでライスを取り、裏返したフォークにのせて、口に運んでいた。それが正しいマナーだと思い込んでいたのである。そもそも西洋では白飯を食べる習慣がないのだから、マナーが入りこむ余地などなかったのだが、自称識者が唱えると、それを正論だと信じる人によって広まっていったのだ。

令和の時代になってまさかと思うが、それと大差ない、カレーライスのマナーなるものが先般話題を呼んだ。カレーライスを置く向き、について、「利き腕のほうにライス、その逆にルーがくるように置くのが正しい」という説をマナー講師なる人物が唱えたというのだ。その理由として、「ご飯をルーに寄せながら食べていくと、お皿をそれほどルーで汚さずにキレイに食べられる」からだと言い、それは「もてなしてくださる方にも気遣いができる」からだとウェブニュースで紹介されていた。笑ってはいけないのだろうけど、思わず吹き出してしまった。

こうした痴(し)れ言が、今の時代にもまことしやかに論じられるのは、食事のマナーを気に掛ける人が多いからで、それは日本人の横並び志向によるものだろうと思う。内容はさておき、人とおなじでないと安心できないという、多くの日本人の習いが、こうした珍マナーを生み出す。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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