フーディー

食語の心 第128回 柏井 壽

食語の心 第128回 柏井 壽

食語の心 第128回、柏井壽、フーディー

最近よく耳にする、というか、メディアで目にする言葉に「フーディー」がある。いわゆる美食家、グルメの別称のようだが、自称「フーディー」たちは食の流行には詳しくても、食の常識にはうといようだ。流行を追いかけるのが「フーディー」の習いのようだから、致し方ないのかもしれないが、間違った知識を流布させる彼ら彼女らには、しっかりとした食の知識を持ってもらいたいものだ。

話は割烹のスタイルで、とある著名なフーディーが、東京に新しくオープンした店を評して、「最初に季節の料理が三品ほど出てきて、あとはアラカルトで注文するスタイル。こういう店がぼちぼち出てきた」

これに「フーディー」仲間が呼応して、
「最近の流行りだよね。どこが始めたのか知らないけど、仕入れや仕込みが追い付かないから、長く続かないんじゃないの」「おばんざい系居酒屋っぽくてあか抜けないから、フーディーにはあんまりウケないよね」

とまぁ、こういうやり取りだったが、フーディーと呼ばれる人たちの実態がよく分かる話だった。

件の店がどういうところなのかよく分からないので、断定はできないが、書いてある通りだとすれば、至極真っ当な、昔ながらの割烹だろうと思う。しかしながらフーディーと呼ばれる人たちは、これが本来の割烹だということをご存じないので、最近流行りのスタイルだと思い込んでいるのだろう。フーディーたちにとっては、おまかせコースオンリー、一斉スタートが割烹のスタンダードなのだ。それこそが今の流行りなのだが。

ことほどさように、今のグルメブームは情けないほど底が浅い。本質を知ろうともせず、ただただ流行を追いかけることだけに執心する。それゆえ、今の時代の食の流れには詳しいことで、さもそれらが食通のように見えてしまう。そして困ったことに、それら似非食通の言を多くが信じてしまうのである。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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