冷めているからこそ美味しい

食語の心 第31回 柏井 壽

食語の心 第31回 柏井 壽

食語の心 第31回

東京駅では、実にたくさんの駅弁が売られている。特に八重洲側には「大丸」の地下食品売り場もあり、はてどこで買えばいいかと迷うほどだ。いわゆる駅弁の他に、近年は名店の弁当も並び、まさに百花繚乱という言葉がぴたりとはまる。

幕の内系、釜飯系、肉丼系、海鮮寿司系などなど。バリエーションも豊富で、目移り必至である。
毎回あれもこれもと欲張り、幾つもの弁当を食べ比べてみての結論。それはやはり〈餅は餅屋〉という話。
どういう意味かと言えば、電車の中で食べる駅弁としては、いかなる名店であっても、本職の駅弁屋には到底敵うものではないということなのだ。

その典型例が、前回書いた『崎陽軒』の「横濱チャーハン」。

焼売と焼飯の組み合わせ。さほど複雑なものではない。これならウチの店でも出来る。そう思ったのか、中華の名店が同じ取り合わせの弁当を作って売り出した。仮にA店としようか。

値段は「横濱チャーハン」の2倍近い。A店は高級中華で知られる店だから当然だとも言える。
僕はこのA店の中華も大好きで、何度も足を運び、焼飯も焼売も本当に美味しいと思ってきたので、大きな期待を持って、弁当を開いたのである。

結論から言うと、まったくダメだった。焼飯は油っぽいし、逆に焼売はパサパサしていて、店で食べるあの旨さはどこへいったのだろうと、不思議で仕方がなかった。

3個の焼売こそ食べ切ったが、焼飯は半分近くも残してしまった。『崎陽軒』の「横濱チャーハン」は、必ずと言っていいほど、ひと粒残さず平らげるのに、だ。

いったいこの違いはどこから来るのだろう。どう考えても不思議で仕方がない。疑り深い僕は、ひょっとして、あのときのA店の弁当には何らかの瑕疵があったのではないかと思い、再度チャレンジしてみた。

そして念を押す意味でも『崎陽軒』と両方一緒に買った。
意気揚々と新幹線に乗り込み、発車と同時に、ふたつの弁当を開け、ひと口ずつ食べ比べてみた。はたしてその結果は。
まったく前回と同じだった。『崎陽軒』の圧勝に終わった。

どうにも納得できない僕は、A店へ食べに行った。焼飯も焼売も本当に美味しかった。つまり味が落ちたのではない。では何故この差が出たのか。
難解なようで、答えは実にシンプルだった。ポイントは温度だ。

A店の焼飯も焼売も、出来立て熱々のときは間違いなく美味しい。だが、冷めるほどに、どんどん味が落ちてゆく。一方で『崎陽軒』のほうは、冷めてから食べることを前提にしているので、極端な言い方をすれば、時間が経つほどに旨みが増す。

つまり駅弁というものは、冷めた状態で食べることを前提として作られている。
一方で名店のそれは、熱々出来立ての状態を標準とし、冷めて美味しく食べられるように工夫されている、のだ。あくまで、冷めて、である。

言葉にすると僅かな差のように思えるが、実際に食べてみるとこの差は大きい。
油の使い方はもちろん、味付け、盛り込み方など、長年の経験によって生み出された調理法があって、はじめて美味しい駅弁になるのだということを改めて思い知った。

老舗洋食店のオムライス弁当を車内で食べてはいけなかったのだ。持ち帰ってレンジで温めて食べるべきものだと納得した。
一方で「チキン弁当」は車内で食べるべきものだと確信した。

チキンライスと唐揚、どっちも冷めていても美味しい。今上陛下も好んで食べられるという「チキン弁当」は、僕にとって「横濱チャーハン」と並び立つ、首都圏駅弁界の横綱だ。

ご飯というものは通常、炊き立ての熱々が美味しい。〈冷や飯を食わされる〉という言葉があるほど、冷めたご飯は一段下に見られるものだ。
ではあるが、こと駅弁に関しては、冷めているからこそ美味しいものがあるのだ。

その代表とも言えるのが、宮島口で売られている『あなごめしうえの』の「あなごめし弁当」。

行列の絶えない店の中で、出来立てを食べるのもいいが、昔ながらの経木弁当を列車の中で広げるのは、何にも増しての喜び。
経木によって、程よく水分が抜けた味付けご飯と、よく味の染みた焼穴子を一緒に頬張れば、至福のひととき。あまりの旨さに、不覚にも落涙したほどの「あなごめし」。日本一の駅弁だと思う。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2015年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
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