〈プロ〉という名の素人

食語の心 第26回 柏井 壽

食語の心 第26回 柏井 壽

食語の心 第26回

〈プロ〉。言うまでもなくプロフェッショナルの略で、そのことで生計を立てていることを言う。あるいはその道を極め、他を圧する技倆、もしくは知識を持つことを言う。
その、どちらにも当てはまらない人たちがメディアの中で〈プロ〉と呼ばれ、もしくは自ら名乗り、誰もそのことに異を唱えない。それは食の世界でも顕著だ。

関西ローカルで恐縮なのだが、人気情報番組で、お奨めグルメを紹介する〈本日のオススメ3〉というコーナーがあって、人気を呼んでいるらしく、長く続いている。このコーナーのサブタイトルには〈プロが教える……〉と付いている。
はて、どんなプロが登場するのかといえば、お笑いタレントや人気歌手、アスリートたち。

友だちが経営する店だとか、近所の行きつけの店、仕事先で偶然食べた菓子など。自分の好みを三つ紹介し、たいていは四つめとして、自分の舞台や番組の宣伝をする。つまりは自分のPRをする前フリとして、お奨めを挙げているだけのこと。

いちいち目くじら立てるのも大人げないと思わぬでもないが、このコーナーで紹介された店は、あっいう間に人気店となり、行列の絶えない店になるというのだから、黙って見過ごすわけにはいかない。

〈プロ〉という言葉を安易に使うから、視聴者はその情報を正しいと信じ込んでしまう。もしもこのタイトルに〈プロが教える〉というコピーがなければ、信頼性は薄らいだに違いない。ただのお笑いタレントの、いったいどこが〈プロ〉なのか。

そしてこのコーナーには、人気ブロガーもレギュラーで登場する。何千軒ランチを食べ歩いた〈プロ〉などと紹介され、したり顔で店紹介をするのだが、どうも近頃は、この〈数〉で判断されることが多い。数より質だと思うのだが、千軒のラーメン屋を食べ歩いた、ただそれだけで賞賛され、〈プロ〉と呼ばれてしまう。

これはどうやら食の分野に限られた現象のようで、たとえば書評家が何千冊読んだとかを自慢している話など聞いたことはないし、映画評論家しかり。数を誇るのではなく、どんな映画を観て、どう評論するかで、プロと呼ばれるに至るかどうかが決まる。

書評家が作家を友だち呼ばわりすることなど皆無に等しいが、グルメブロガーは決まって、料理人をちゃん付けで呼んだりして、親しさをアピールするのも特徴的で、この辺りがアマチュアの緩さなのだが。
そろそろ〈プロ〉の基準を明確にしないと、食の世界は〈プロ〉だらけになってしまう。
真の〈プロ〉はそんな安易なものではないはず。道を極めた者だけが、そう呼ばれてしかるべき。

そして食の世界には、料理家、もしくは料理研究家という肩書を持つ、プロもどきのアマチュアが跋扈している。
以前にも書いたと思うが、この手の肩書ほどアヤシゲで不確かなものはない。繰り返し述べているが、こういうことは食の世界だけである。

スポーツ、芸能、文芸など、どんなジャンルであっても、研究家を名乗るためには、それ相応の経歴を持ち、それなりの成果を上げなければならない。勝手に名乗ったところで、誰も相手にしないのだが、料理だけは、どうやら別のようだ。

先の番組で〈お取り寄せのプロ〉なる人物が登場するのだが、何をもってして〈プロ〉と認定したのか、さっぱり分からない。
「一年に300回以上もお取り寄せするという○○○さん」と紹介されるのだが、その気になれば、一日でもできる。そんなことがプロの証しだとは笑止千万。
たくさん食材を取り寄せて、それを料理してブログに書くうち、目を付けたメディアが、おだてあげてプロに仕立てる。おそらくタダ同然のギャラで喜んで露出するだろうから、両者の思惑は一致する。

かくして〈プロ〉という名の素人が食を語り、似非料理を披瀝し、多くの消費者が鵜呑みにしてしまう。
悪しき流れはとどまることを知らず、気が付けば、食の世界は素人だらけになってしまっている。

少しばかり、言葉が過ぎるのをお許しいただけるなら、料理人たちも同じ流れになってきていると言わざるを得ない。
グルメブロガーさんたちが、つぶさに報告してくださるので、店に行かずとも料理のあれこれが分かる。
器の選び方、盛り付け、料理内容。どれ一つとして、プロらしさを感じさせない店が日々増えている。その話は次回に。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2015年6月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
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