土門拳

戦前戦後の厳しい時代から仏像行脚を続け、脳出血で倒れ、車椅子生活となってからも不屈の精神で撮影を続行した写真家・土門拳。仏像の手や足、衣など細部をクローズアップする独自の写真から、土門拳がその目で感じ、瞬間を捉えた仏像と日本人の魂が浮かび上がる。

Text Rie Nakajima

戦前戦後の厳しい時代から仏像行脚を続け、脳出血で倒れ、車椅子生活となってからも不屈の精神で撮影を続行した写真家・土門拳。仏像の手や足、衣など細部をクローズアップする独自の写真から、土門拳がその目で感じ、瞬間を捉えた仏像と日本人の魂が浮かび上がる。

(左)唐招提寺⾦堂千⼿観⾳⽴像左脇千⼿詳細 昭和38(1963)年/(右)薬師寺三重塔全景 昭和36(1961)年 写真提供/土門拳記念館
(左)唐招提寺⾦堂千⼿観⾳⽴像左脇千⼿詳細 昭和38(1963)年
(右)薬師寺三重塔全景 昭和36(1961)年
 写真提供/土門拳記念館

終わりのない仏像撮影について、彼はこうもつづっている。

「仏像の良さを捉えようとする時、じーっと見ていると、胸をついてくるあるものがある。それを両手で抱えて、そのものを丸ごと端的に表すことを心掛けることが必要だ。(中略)仏像はどこもかしこも規則ずくめで作られた造形物である。造形物であるからといって、形にとらわれては駄目だ。仏像の精神をまっとうに追求することが必要なのである」(『フォトアート』74年4月号「仏像を撮るには」より)

室生寺に始まり、奈良や京都だけでなく、北は青森から南は九州まで、全国100カ所以上の古寺を40年もの歳月をかけて撮影した『古寺巡礼』は、まさに土門のライフワークと言えるものだ。その第一集が刊行されてから、今年で60年。写真家のなかでは随一の名文家としても知られ、幾度となく訪れた室生寺の近隣に暮らす人々との触れ合いを描いたエッセイとともに、今なお多くの人たちの心を捉えている。仏像が現代人の心をつかむのと同じように、土門が見た仏像もまた、色あせることを知らない。その理由は冒頭の土門の言葉にあるように、仏像が日本人の魂というべきものであり、土門の写真はその本質に限りなく迫ったものだからであろう。

終戦の翌年、土門は室生寺の当時の住職、荒木良仙老師と書院で語り合い、長年そこに住む老師にどの季節の室生寺が一番美しいと思うかを尋ねた。老師は「全山白皚皚たる雪の室生寺」と答えたという。ただ、土門が何度冬に出向いても、雪の室生寺に立ち会うことができず、なんとかして撮影したいと思い焦がれていた。それがようやくかなったのは、78年の冬。

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真のラグジュアリーとは何か

真のラグジュアリーとは何か

ラグジュアリーの定義が、音を立てて変わりゆく時代にあっても、最高峰のプロダクトを手にし、その圧倒的な美しさに触れる高揚感が、人生を鮮やかに彩る原動力であることを、私たちは知っています。
物質的な豊かさが、依然として私たちの精神を支える強靭な基盤であることに、言を俟ちません。
真の贅沢はそこから始まります。
アルゴリズムが弾き出す「正解」を疑い、自らの審美眼と直感で未踏の価値を切り拓く。
その「知的冒険」こそが、グローバリズム崩壊後の世界に残された、最後のラグジュアリーではないかと考えます。
Nile's NILE Digitalは、物質と精神、伝統と革新、都市の快楽と野生の回復――この相反する要素を「アンビバレンス」として愉しむ、選ばれた冒険者たちのためのプラットフォーム。
混沌を優雅にサバイブするための視座と、本物の体験へのアクセス権。
ここはまさにDesigning for the Exceptionalsの砦。
知的冒険者たちが集い、次なる航路を描くための、現代の港となります。

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