1週に1章を実践すれば26週、約半年で自炊者になるという構成だが、随所に散りばめられたにおいをめぐる論考が興味深い。科学者が解明してきたにおいの仕組み、作家や料理家たちの食の随想、そして精神科医・中井久夫『世界における索引と徴候』をベースにした「においは過去に紐づくとき索引で、近未来を示すとき徴候」という議論。メソッドを裏付けつつ思考を跳躍させる展開に魅了される。
それらは私に、かつて料理人から聞いた話を思い起こさせた。人間がにおいを感知する仕組みには、オーソネイザル経路(鼻から吸い込む香り)とレトロネイザル経路(咀嚼の最中に肺から口を経由して喉の奥、鼻腔を通り鼻先へ抜ける香り)がある。前者は順路、後者は逆路だ。
「この逆路、レトロネイザル経路が、人間にとってきわめて重要であり、人間を人間たらしめるものだ」。このフレーズで思い出したのが、イタリア料理人の話だ。日本人は野菜をさっとゆがいて歯応えを残すが、イタリア人がくたくたになるまで煮る理由を尋ねた時、彼は「かみ締めるうちに喉の奥から返ってくる味わいを堪能するのだ」と答えた。
日本のゆで方は前歯でかむ食感を重視した入り口の喜び。イタリアのゆで方には、奥歯ですり潰し喉の奥から返ってくる味に「おいしい」がある。
肉焼きの記述も料理人の仕事を想起させた。小学校の図画工作で「キャンバスに1本の線を引く時、その線はあなただけの線だ」と先生が言ったという。「肉焼きも同じ。あなたの焼き方はオンリーワンだ」と続く。取材経験上、それは真理だ。シェフたちは独自理論で焼いており、絶対的な正解はない。それよりも皆、自分の中にイメージを持つことを大事にしている。
「自炊」とは、食材を適切に選び、調理し、自身の食事を管理する術――すなわち「食の自立」だ。料理せずとも食事に困らない現代社会は、人々を食の自立から遠ざけているのかもしれない。
最終章には「自炊することで世界の雑多な豊かさに気付く」とあるが、本書はそれ以上に、自分らしく生きるための本であると私は思う。
君島佐和子 きみじま・さわこ
フードジャーナリスト。2005年に料理通信社を立ち上げ、06年、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するクリエイティブフードマガジン『料理通信』を創刊。編集長を経て17年7月からは編集主幹を務めた(20年末で休刊)。辻静雄食文化賞専門技術者賞選考委員。立命館大学食マネジメント学部で「食とジャーナリズム」の講義を担当。著書に『外食2.0』(朝日出版社)。
※『Nile’s NILE』2025年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。
においに導かれて「自炊」の豊かさを知る
本の食べ時 第13回 君島佐和子
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